「夫の眠る地だから」台湾の小学校に30年以上寄付続けた女性が死去

taiwan

 

気軽に行ける海外旅行の行き先として、

人気が高い台湾

 

台湾は1894年の日清戦争で清朝が敗北し、

1895年に結ばれた下関条約で日本に割譲された土地。

以降、台湾は戦争が終わる1945年まで日本の一部でした。

 

その台湾南部にある屏東県竹田郷竹田村の竹田国民小学校で、

11月24日に一人の日本人女性の追悼式が行われました。

彼女の名前は水谷雪さん。その2日前の22日に、

水谷さんは日本でこの世を去りました。94歳でした。

 

水谷さんの夫である水谷政美さんは第二次世界大戦中に、

竹田村にあった第19712部隊野戦病院に勤務していましたが、

消息不明に。

後にこの病院で死亡していたことが判明します。

 

戦後、この野戦病院のあった場所には小学校が建てられました。

 

そのことを知った水谷さんは、夫をしのぶために

台湾の竹田村を訪れることを決意

それがかなったのは1981年のこと。

竹田小学校に到着して最初にしたことは、

夫の遺灰の代わりに土を集めることでした。

 

それから2年に1度ほどのペースで小学校を訪れ、

30年以上に渡り書籍や奨学金を寄付したり、

日本の歌を披露するなど生徒や先生たちとの

交流を続けました。

 

やがて水谷さんは地元では「雪おばあちゃん」と呼ばれ

慕われるように。

竹田村は水谷さんに感謝の気持ちを

表すために「第1号名誉村民」としました。

 

水谷さんが最後に小学校を訪れたのは2009年。

その後は娘の夫が小学校を訪れ、寄付活動を続けました。

2013年には竹田村が小学校の生徒を

日本の水谷さんのもとに派遣。

 

「おばあちゃんとまた、

歌を一緒に歌いたいです」と伝えました。

 

水谷さんは生前、

自分が死んだら、夫から贈られた結婚指輪を

竹田小学校敷地に埋めたい

と小学校側に申し入れていたそう。

 

そうすれば自分は夫と一緒に竹田にいられるから、と。

学校側もこの申し出を受ける考えで、準備を始めたそうです。

 

小学校での追悼式は、日本での告別式の時間に合わせて

行われました。

台湾メディアも長きにわたる水谷さんの寄付活動や、

夫への愛、現地の人たちとの交流などを紹介し、

反響を呼んでいます。

 

水谷さんの愛の物語、皆さんはどう思いますか?

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